探検家、36歳の憂鬱 角幡唯介
最近コンパでモテない、というたわいもない話から始めて(昔はモテたの?とツッコみたい・・・)、現代冒険論、西丸震也ばりの現代文明論まで語ってしまう大著。特に富士登山の流行から、現代都市生活における身体性の欠如という「病」を自らの冒険に絡めて語った「富士山登頂記」は圧巻。自虐ネタを披露しながら、しっかり大きなテーマを語りつつ、最後に自分の問題として語ることも忘れない周到さが心憎い。さらにこの本では極地に冒険に行くときに救助という退路を断つために、衛星電話や無線を持たないことのみが真の冒険が成り立つ条件ではないかということもほのめかされていて、そのあたりは服部文祥の先祖返り山行に通じるところもあり、もちろん冒険家や登山家ではない僕たち普通の人が山を歩く時にも考えてみたいテーマの一つかもしれない。
・・・・と興の乗った文章にこちらも乗せられてついつい同感、同感と膝を打ってしまったけど、よく考えてみると身体性の欠如は確かに「病」かもしれないけど、そういう病にかかるようになった原因と、僕たち普通の人が住む場所を選べるようになったり、登山をリクリエーションとして楽しんだり、そのなかのごく一部の人が貴族や金持ちでなくても冒険を楽しめるようになった理由は同じもの(=文明の発達)なわけで、100年前には不可能だった、冒険をする、しない、都会に住む、住まないという選択ができるようになっただけましではないか、という意味でちょっと話をまとめすぎ、詭弁かなとも思えてきた。そのへんが「憂鬱」なんだろうけど・・・・。その点では方法論としては愚鈍かもしれないし、文章もそこまで洗練されてないけど、服部文祥のほうが一歩抜きん出ているのではないかとも思った。
でもとても良い本なので特に若い人には是非読んで欲しいなあと思います。
新著
アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極も出るようだし、角幡唯介はこれからどっちに行くのかな?楽しみです。