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くも膜下出血顛末記 その4 退院後、後遺症

 昨年末の出血、入退院から6ヶ月が経ちました。今は通院しながら術後の経過を見ています。現状を書いておきます。

 退院後1ヶ月ほどは運動、飲酒等は禁止されていましたが、現在は適度な運動、適量の飲酒は許されています。運動は早朝のランニング、自転車通勤を再開し以前と同じ程度のトレーニング量を維持しています。酒もほぼ以前と同量を維持(??)しています。最初の3ヶ月ほどは月一回だったCT、MRI検査も今は2ヶ月半に一回程度になり、服用している薬もデグレトールという抗てんかん薬だけになりました。これも先日受けた脳波検査の結果が良ければ、飲まなくて済むようになりそうです。

 ではもう病前と全く同じに戻ったかというと、残念ながら違います。現在、二つの後遺症が残っています。一つがからだのふらつきで、もう一つが記憶障害です。前者は手術直後から意識していて、時間ととも少し良くなっているような気がしますが、まだ完全に元通りではありません。歩いたり走ったりしているときにはそれほど感じませんが、立っているときに少し体のバランスを崩すことがあります。走行中の電車ではつり革やポールを持っていないとよろけてしまいます。最近も診察時に主治医に相談してみましたが、歩いたり、走ったりできるだけでありがたい思わなければならないと諭されてしまいました。それでも、自分としては元通りとは言わないまでも少しでも治したいと思っているので、時間の経過や日々のトレーニングよって治ることを願っています。
 もう一つの記憶障害ですが、これを最初に意識したのは退院後の最初の通院時のことです。自宅から駒沢公園前までバスにのり、公園を横切って東京医療センターに行くつもりでしたが、なぜか公園のなかで道を見失いなかなか病院に着くことができませんでした。この公園は息子が小学生の頃、少年サッカーのコーチとして何度もチームを引率して来たことがあり、地理を把握しているつもりでしたが、なぜかうまく病院のほうに抜けることができないのです。その1週間後の通院時も同じように公園のなかで道に迷ったので、これはおかしいと思って診察時に主治医に相談すると高次脳機能障害の検査を受けるよう言われ、翌週同じ病院のリハリビ科でマンツーマンで1時間ほどかけて知能テストのような質問、問題に答える検査を受けました。結果は記憶障害ありというもので、記憶能力が40代平均を大幅に下回っていました。その後の日々の生活のいろいろな場面でこの障害を実感するようになりました。例えば、3月から詰め物の直しのために歯医者に2ヶ月ほど毎週1回程度通いましたが、そのうち二度も診察予約の時間に遅れてしまいました。こういうことがないように、クラウドのカレンダーに仕事、私用の予定をすべて書き込んでいましたが、朝予約の時間を見て頭に入れていたつもりが、なぜか間違えて記憶して、診察の時間を間違えてしまいました。日付、時間などはなかなか思い出せません。支障がないようにするために、PC、スマフォのカレンダーを何度も確認して予定をすっとばさないよう気をつけています。この障害もリハビリ担当医に尋ねたところ、時間ともによくなることもあるし、そのまま障害が残ることもあれば、悪化して認知症になることもあるそうです。私の場合、短期間に3度も出血しているので、この程度の機能障害は当然あるとのことでした。とりあえず、定期的に検査をして様子を見ることになっています。
 
 このように大病を手術で克服し、概ね術前と同じ生活が送れるようになりましたが、少し障害があることも事実です。主治医の話ではありませんが、確かにこの程度の障害で済んだことはありがたいことですが、やはり人間とは欲張りなものでどうしても以前の能力を維持したいと思ってしまいます。あせっていますぐ治したいとは思っていません。気長にゆっくり治していければよいと思っています。
 

 春になって、友人に誘われ山歩きを再開しました。今月になって高尾から陣馬までトレーニングがてらに歩き、先週は雨のなか奥秩父の深い山のなかをテントを担いで一人で歩いてきました。

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何度か歩いたことのあるコースですが登山道ではないので、わかっているつもりでもコンパスと地形図を見て確認しながら歩いてみました。テント山行に必要なものも忘れ物もなく用意できました。重い荷を担いで歩くこともできました。沢登りなどは今は無理かもしれませんが、こうして好きな山を一人で好きなように歩けるだけで今は十分です。


 これまでここに病気の顛末をいろいろ書いてきましたが、これからはできれば病気のことではなく、以前のように好きな山歩きや本やロッケンローのこと、その他くだらないことを書き散らしていければいいな、と思ってます。
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by mobydick67 | 2015-06-21 16:44 | Comments(6)

くも膜下出血顛末記 その3 術後入院生活

2015年1月1日
手術の翌日12月30日に意識を取り戻しましたが、まだ意識が混濁していて、しゃべったり、ひとが言っていることがわかるようになったのは年明けてからで、気がつくとナースステーションの前の個室集中治療室のベッドの上でした。病名、病状について医者や家族から説明を受け、何度も「意識が戻ったのは非常に幸運」と言われましたが、その時は幸運なのかどうなのかわからないくらいこの病気についての知識がまったくありませんでした。
 気がつくと手には点滴の針が2箇所刺され、各種センサーがつけられていて、看護師さんが頻繁に点滴パックを交換し、採血し、血圧を測りにきました。何よりもびっくりしたのはいつのまにかペニスにカテーテルが刺されていたことです。一体誰が何のために???ペニスにさされたカテーテルは膀胱にまで伸びており、尿はすべて膀胱から直接カテーテル経由でベッドの柵にぶら下げたパックに貯め、これも看護師さんが頻繁にパックを空のものに交換し、尿量を記録され、脱水症状にならないよう頻繁に経口で水分をとるよう指導されました。くも膜下出血直後の症状として体内の水分コントロールがうまくいかなくなるようです。また、これもずっとあとで知ったことですが術後10日ほどは再出血、脳血管攣縮、脳浮腫などが起こる可能性が非常に高いため、このように厳重な管理体制下に置いて経口、点滴で薬を大量に投与するようです。とにかく大便のときに看護師さんに付き添われて室内の歩いて5歩のトイレに行く以外はずっとベッドの上で点滴を受ける生活でした。

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 手足も動くし、喋れるので楽観的にされるがままにしていましたが、ひとつだけ辛いことがありました。頭痛です。医者によると出血により脳内に残った血液のせいだということでしたが、これがかなり酷い頭痛で手術前の頭痛よりもひどいくらいでした。頭痛止めの薬を点滴で入れてもらいましたが効果はあまり続かず、術後1週間ほどは絶え間ない頭痛に悩まされ長く寝ることができませんでした。また1月5日には、網膜光凝固術という簡単な目の手術を受けました。脳内手術の数日後に久しぶりにメガネをつけてみると像がダブって見えたため眼科の診察を受けたところ、右目の網膜の端のほうが剥離しそうになっていたため、レーザーで焼いて網膜を固定する手術を受けました。手術といっても麻酔も使わず1時間半程度で終わり、すぐに効果が現れて元通りに見えるようになりました。主治医は原因についてはっきといいませんが、手術中、術前のCT検査等で大量の放射能を浴びたことが原因ではないかと思っています。くも膜下の検査、手術ではフクシマの原発作業員以上の放射能を短期間に浴びるようですが、治療には欠かせない過程なのでしかたないと思っています。
 1月6日夜に術後の経過も良かったため集中治療室から脳神経科の一般病棟個室に移りました。頭痛も徐々にひいてきて夜も眠れるようになりました。一般病棟に移ってからは家族以外の見舞いも許可され、親しい友人たちが見舞いに来てくれ、とても心強かったです。食事も一般食になり、リハビリも始まりました。リハビリといっても長いこと寝ていたために足腰が弱っているだけで、最初は院内の病室のあるフロアーを妙齢の女性理学療法士と見習いの女子大学生に付き添われて歩くことから始め、3、4日すると2人と病院の建物を出て敷地内を散歩できるまでになりました。楽しかったです。ただこの頃、歩いていても筋力の衰えとは別に、ふらつくようなバランス感覚が悪いような気がしましたが、歩けないほどではないので気にしませんでした。しかしこれは後になってもなかなか治らず今でも少し残っています。1月11日にはペニスに刺さっていたカテーテルを女性看護師さんに抜いてもらい(うっ!!)、術後初めてシャワーも浴びてすっきりしました。1月13日には個室から4人部屋に移り、点滴の種類も減って針も2箇所から1箇所になり、服用する薬も2、3種類になりました。1月13日、術後の経過を見るため、脚の付け根から脳まで再度カテーテルを挿入して脳血管造影検査を受けました。出血後のコイリング手術の際は意識がなかったので何も覚えていませんが、今回は脳神経科の手術室までベッドごと運ばれ、白衣を着てマスクをつけた人々に囲まれて麻酔をうけ、体を固定され検査を受けましたが、まるでSF映画の中にいるような体験でした。検査後、気がついたら病室に戻っていて1日安静にと言われました。翌14日担当医の診察を受け、再出血の可能性がないわけではないけど、体力の戻りもよく、その他の数値も良いので退院しますか?と訊かれたので二つ返事で退院します!と伝え、翌15日にめでたく退院しました。このときは自分の足で歩いて退院し、手術、入院費の支払いといった退院手続きも自分でしましたが、看護師からはくも膜下出血の術後に車椅子や移動ベッドでなく自分の足で退院する人は非常に稀ですと言われました。

何はともあれラッキーでした。
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by mobydick67 | 2015-05-25 17:50 | その他 | Comments(4)

くも膜下出血顛末記 その2 手術

2014年12月29日
28日に東京医療センターに救急搬送されて集中治療室にかつぎこまれ、CT等の検査によりくも膜下出血との診断を受けて救命処置を施され、翌29日に手術を受けます。これはあとで知ったことですがくも膜下出血の手術は2種類あります。一つは開頭手術で頭蓋骨を切りとって、破裂した動脈瘤をクリップで挟んで再出血を防ぐ手術(クリッピング)。もう一つは血管内治療といって、脚の付け根の動脈からカテーテルを挿入して脳まで通し、そのカテーテルから紐状のプラチナを動脈瘤のなかにコイル状に詰め込んで動脈瘤に血液が流れこまないようにして再出血を防ぐ手術(コイリング)。詳しい理由ははっきりとは聞いていませんが、私の場合動脈瘤の位置、あるいは形状のせいでクリッピングができなかったため、後者のコイリング手術を受けました(追記:搬送時にすでに脳血管攣縮を起こしており、開頭してクリッピングを行うことができなかったということを、退院後の夏の診察時に担当医にききました)。実際、手術では動脈瘤にプラチナを詰め込むのに手こずり、予定よりも時間がかかったようですが、サポートカテーテルを使って補助することでコイル塞栓を終えたようです。ただ、私は倒れて以降意識はまったくなく、術中術後は麻酔も効いていたので何も覚えていません。

2014年12月30日
その後翌30日に脳神経科集中治療室で意識を取り戻したようです。そして、意識を取り戻したときにせん妄状態で「ちくしょうー」とか言いながら、ベッドに寝たまま柵を蹴飛ばしたり、点滴の針を取ろうとして暴れたため、ベルトやグローブで手足を拘束されたようです。この病気は出血により手足が麻痺して動かなくなることが多いので、医師や看護師は「元気のいい患者だ・・・」と苦笑していたようですが、私は全く覚えていません。はっきりと意識が戻って家族や看護師から病名、病状を聞き、自分のおかれている状況を理解したのは年があけてからです。「くも膜下出血」と聞いても、ほとんど知識がなくピンときませんでしたが、とりあえずしゃべることもできるし、手足も動かすことができたので悲観的にはなりませんでしたが、集中治療室でいろいろなものを体に繋がれ絶対安静という状況でした。
 
ずっとあとで退院して入院時の書類を整理していて、意識のない私に代わって家族が書名した手術、治療の同意書に添えられた説明書を見て背筋がぞっとしました。

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このように予後の非常に悪い病気ですが、高度な医療技術と医療スタッフ、そして家族の判断のおかげで現在ほぼ正常にほとんど不自由なく生活できているのは、ほんとうに驚くべきことで、いくら感謝しても感謝しきれないと思っています。






話はとびますが・・・・2月に退院後に初めて見た美術展は国立近代美術館の高松次郎展でした。ここの展示である作品を見て驚愕しました。脳動脈瘤コイリング手術では下記のようにコブにプラチナを詰めていくのですが・・・・

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高松次郎 「瓶の紐」

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そっくり!
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by mobydick67 | 2015-05-07 10:22 | その他 | Comments(10)

くも膜下出血顛末記 その1 出血

このブログではこれまで山、里、街での己の愚行の数々を晒してきたので、昨年末に患った大病についても備忘録代わりに書いておこうと思います。「患った」というよりは「襲われた」というほうが感覚としては近いのですが、表題のとおり昨年12月に私はくも膜下出血で倒れました。

2014年12月11日
都内で親戚が集まる機会があり、夕方6時から新宿の居酒屋で宴がありましたが、私は幹事だったため、めずらしく焼酎一杯程度しか飲みませんでした。2時間ほどで宴は終わり自宅に帰りましたが、その際甥や姪など若い人を中心に数人が私のマンションにそのまま来て、やれ飲み直そうかとみんながテーブルについて、乾杯しようとしたまさにそのときでした。それまで経験したことのないような頭痛に襲われました。また脚の膝から上が少し痺れているような感覚もありました。「経験したことのないような」といっても、そもそも宿酔以外で頭痛などほとんど経験したことがなく、後で本やネットで調べるとこの病の頭痛は「人生最悪の」と形容されていましたが、そのときはとりあえず頭がグラグラするような頭痛で何か尋常ではないものを感じましたが、最悪かどうかはともかく酒など呑めそうもないので、他のみんなに頭が痛いので悪いけどもう呑めないと伝えてベッドに行き、そのまま倒れるように寝ました。
 すぐ寝たかどうかはもう覚えてませんが、翌朝になっても頭痛は治っていませんでした。ただ、慣れか、頭痛が弱まったのか、全く行動できないような状態ではなく、3日ほど仕事は休みましたが、その後年末で忙しくなかったせいありますが、仕事もしていました。酒を飲んでみても治らず、いつまでたっても良くならないので20日には市販の頭痛薬を飲んでみたけどやはり治らず、ようやく24日のクリスマスになって病院に行きました。町医者では後で大病院に廻されると思って、区内の某大病院に行き、受付で頭痛と足の痺れが10日以上続く旨を伝えると脳神経外科を案内されました。そこで頭部CTと脚のMRIを撮ったあとに診察を受けましたが、いずれにも異常はないとの診断で心労のせいだと言われ、少し強い頭痛薬ロキソニンを処方されました。
 
2014年12月26日
それでも頭痛はひかず、実はこのあたりから記憶が曖昧であとは家族による事後報告をもとにした記録になりますが、26日にトイレで倒れて意識不明のところを家族が発見し救急車を呼び、先ほどの大病院に搬送されました。しかし搬送中に意識は戻り、搬送先の病院でも再度CTを撮ったりせず、やはり心労のせいだという診断でタクシーで帰宅しました。

2014年12月28日
翌々12月28日午前中、風呂で再度倒れます。家族によると26日前後から傍目にも不審な行動が多く、この28日もなぜか午前中に入浴しようとして、家族も注意していたようですぐに倒れたことに気がついたようです。再び119で救急車を呼びましたが、このときは意識不明で呼吸も浅く人工呼吸を受けながら搬送されたようです。また、理由はわかりませんが、今回は前回の通院と救急搬送で診察を受けた病院ではなく隣の目黒区の国立東京医療センターという大病院に搬送されました。ちなみに今こうやって普通にパソコンでキーボードを打ったり、朝走ったりできるのは、手術、治療をしてくれたこの病院の医療チームはもちろんですが、2度ともすぐに気がついて救急車を呼んでくれた家族と、すぐに駆けつけて適切な処置をして迅速に搬送してくれた救急救命士のおかげです。感謝しています。
 こうして病院に搬送後、脳神経科の集中治療室に運びこまれ、生命維持のための処置を受け、MRI、CT、頭部血管造影検査によってくも膜下出血との診断を受け、翌日即手術することが決まります。ただこのあいだも私は意識不明、呼吸不全で、家族は担当医から手術をしてもこのまま意識はもどらない、あるいは手術前に死亡するかもしれないと担当医に伝えられたようで、広島の実家や滋賀の妹に連絡して母や妹が急遽上京してきました。

うーん、こうやって改めて文章にしてみると、もうかれこれ退院後4ヶ月近くたつのですが、我ながら今こうやってほぼ普通に生活できていることが奇跡のようです。とりあえず今は五体満足です。
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by mobydick67 | 2015-05-04 18:10 | その他 | Comments(6)