さようなら、小沢昭一

たとえば、神代辰巳の「一条さゆり 濡れた欲情」や森崎東の「喜劇 女は男のふるさとヨ」を見るまでもなく、ストリッパーたちは街から街へとドサ廻りの旅をしながら生業をたてている(いた・・・)わけだけど、それを出雲の阿国から連綿と続く「放浪芸」の伝統の最新版として位置づけるなんてことは、やっぱり小沢昭一以外にはできない芸当。

また、とても優しい眼差しの人でもあった。

 近頃は”放浪”ばやりである。
 しかし”放浪”の、キビシサ、ツラサ、セツナサばかり強調され、カッコイイこととされているような気がする。ホンモノの放浪は365日明けても暮れてもだ。セツサナ、ツラサばかりでは身がもたない。案外当人は「遊」なのであろう。ほら、遊行という言葉もあるではないか。有吉さん(引用者注:門付け芸人)じゃないが「遊び半分」なのである。
 さすれば、吾れも「マドウ」より「遊ぼいな」・・・・・・そう出来たらクロいなァ。


    私のための芸能野史 (1973年)より


まったくそのとおり。

他にもいろいろなことを教わりました。とてもかなわないことだけど、ああいう大人になりたいと思ってました。いや、いまでも思ってます。あの声がもう聞けないのはとても寂しい。


お線香がわりに一本。

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さようなら。
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by mobydick67 | 2012-12-21 12:21 | その他 | Comments(0)
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