奥秩父を調べる――「秩父学入門」

秩父学入門―わが愛する風土へ (さきたま双書) 清水武甲監修

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以下引用

”昭和初期には、栃本部落を出て、川又部落から軌道を行くと、やがて右手に良い橇道があった。軌道よりもむしろこの橇道のほうが良く、それを行くと赤沢谷のやや上流に出て、柳小屋へ行けたし、赤沢谷の出会い(合流点)から橇道を登り柳小屋へいくのもあった。そのほか白泰山頂までは近道の橇道があり、それを通ると本道の一里観音や二里観音の前を通らず早く白泰山頂へ出られた。
 橇道とは天然林を伐採した木材を、木馬(きんま)と称する橇で運ぶ道で、年中使っているので広くて歩きよく伐木を最短距離で運ぶように造られているので、旧来の登山路より近道になっていた。そのために、私達は橇道があればなるべく橇道を歩くようにした。このように、昭和初期の白泰山の南斜面には多くの便利な橇道があって、奥秩父登山にはとても都合がよかった”

以上「戦前の秩父の集落」 村本達郎 より


これを見ると現在の入川から柳小屋まで登山道がここでいうところの「橇道」のようだが、かつては赤沢谷から柳小屋まで別の道があったようだ。赤沢谷の出会いから少し行ったところにある「山道」という道標から先も沢沿いに白泰山まで今年は歩いてみたい。

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この他にも関東木材合資会社(通称マルキョウ、歌人の前田夕暮が社長)の進出によって戦前に入川に大集落ができたこと、またそこからさらに奥地で働く林業従事者の子供たちの通学が大変だったため、上中尾の分教場に異例の児童寄宿舎が作られたこと(このことは小林茂さんの著作にも当時国内初の寄宿舎併設の公立小学校として話題になったということが書かれている)なども書かれていて、いろいろ参考になり、頭のなかで幾つか情報が繋がった。この上中尾の分教場の跡地がいまの光の村養護学校なのかな?

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by mobydick67 | 2011-03-07 22:43 | 奥秩父:山歩きと備忘録 | Comments(2)
Commented by 1号 at 2011-03-08 11:04 x
mobyさんこんにちわです。ご推察のとおり上中尾の学校は
旧大滝村上中尾分教場→〃上中尾分校→〃上中尾小学校→光の村
養護学校となるようです。
明日からこのブログを拝見できません。1週間辛抱します。
出張から帰ったら一緒に飲んでくださいませ。
Commented by mobydick67 at 2011-03-08 18:24
1号様。
さっそく詳しい情報ありがとうございます。
おかげざまで、また少し点がつながり線になりました。
明日から出張ご苦労様です。いろいろ大変だと思いますが、早く帰ってきてくださいね。

あ、でも白衣の◯◯、ちょっと羨ましいですよ。
イタズラしちゃあダメですよ!!
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